胡麻の草分け
世界のほとんどの民族が塩漬けのみに頼って食品の保存を行なっていたときに、新しい調味料をえて、ただちにそれによる漬物を考えていたあたり、日本人は天性の漬物民族ということできる。
また平安時代も終り近く、光孝天皇のころには、醤は月料として支給されている。
『延喜式』によると、「3議以上は醤3合、滓醤2合9勺、親王以下は醤2合、塩4合、鼓1勺」などと、 卯細かく決められている。
ともかく醤は、このころすでに、生活必需品としての地位をえていたことうかわれる(滓醤は「もろみ」のようなもの、敗は味噌や納豆の前身と推測されている)。
武士天下をとった鎌倉時代になるとヽ食生活は質素になった調味料はあまり変わらなかった。
むしろ味噌に近いものは、なめものとして、さらに重要なものになった。
5代執権時頼が酒の肴に味噌をなめた、などという話、質素倹約の美談として伝わっている。
教訓は教訓として、このころすでに味噌はたいへんおいしいものになっていたのだろう。
という戦前の川柳を思い出す。
今日、鯛味噌や蟹味噌などなめ味噌は多く、それぞれ賞味されているその素地は早くも、このころにあったわけだ。
建長年間(1249〜55)覚心という信州の僧宋に渡り、径山寺という寺でなめ味噌の製法を習って帰り、紀州でこのつくり方を教えた。
径山寺(金山寺)味噌の起こりと伝えられているその後、味噌の製造過程で、桶の底に溜っている液煮物の味付けによいことが見出され、溜醤油の原型となった。
室町時代になり、有名な『4条流包丁書』には、「魚を垂味噌で煮た」というくだりはある醤油という名は出てこない。
このほか『庖丁聞書』という料理書にも垂れ味噌登場する。
ゴマがオススメです!また使いたくなるのはゴマだけです。
しろごま油がオススメです!可能性を十分感じるしろごま油です。
ごまご提案致します。ごまがもっと楽しくなります。
胡麻に注目が集まっています。欲しい胡麻が欲しい所に来た感じです。